「文藝春秋」
2020/04/13
「肺炎については絶対に言うな。デマを流すな」 中国当局に“口封じ”された武漢・女性医師の悲痛な証言
 最初に武漢で感染爆発が起こり、その後、世界に広がった新型コロナウイルス感染症の正式名称は「COVID-19」。だが、ポンペオ米国国務長官のように、「武漢ウイルス」と呼ぶべき十分な理由がある。初期段階において、新型ウイルス流行をいち早く察知した医師が警鐘を鳴らしたにもかかわらず、中国当局が「口封じ」をし、これによって「ウイルスの封じ込め」に失敗したからだ。
 対応次第では「風土病」「局所的流行」に留まっていたかもしれない新型コロナウイルス感染症が「パンデミック」となった原因と責任は、流行初期段階で情報を隠蔽した中国当局にある。

文春オンライン アイ・フェン医師
中国で発売と同時に回収されたインタビュー記事
 中国当局が新型コロナウイルスの「ヒト-ヒト感染」を初めて公式に認めたのは「1月20日」。武漢が封鎖されたのは「1月23日」。だが、それはあまりに遅すぎた。そして、感染爆発を防ぐために残されていた貴重な時間が無駄にされた。
「昨年12月末」の時点で、いち早く警鐘を鳴らした医師の一人が、武漢市中心病院救急科主任のアイ・フェン(艾芬)医師だ。
 そのアイ・フェン医師のインタビュー記事が、3月10日、中国共産党系人民出版社傘下の月刊誌『人物』に掲載されたが、発売と同時に回収され、インターネット掲載記事も2時間後に削除され、転載も禁じられた。しかし義憤を覚えた市民たちが、外国語、絵文字、甲骨文字、金石文字、モールス信号、点字、QRコードを駆使して記事を拡散させた。
「新型コロナとの戦い」はこうして始まった
 アイ・フェン医師が勤める武漢市中心病院は、感染源と見られた「華南海鮮市場」の近くにある。いち早く警鐘を鳴らし、他の7名とともに地元公安当局から「訓戒処分」を受けた眼科の李文亮医師も、武漢市中心病院の勤務医で、その後、自身も感染して新型肺炎で亡くなってしまうが、「人工呼吸器を装着した姿」と「地元警察に無理矢理、署名させられた訓戒書」は、世界で大きく報じられた。
 実は、李医師が、2019年12月30日、グループチャットで医療関係者と共有し、「訓戒処分」の原因となった画像は、そもそもアイ・フェン医師が流したものだった。
 アイ・フェン医師は、事の発端をこう証言する。
〈2019年12月16日、1人の患者が、私たち武漢市中心病院南京路分院の救急科に運び込まれた。原因不明の高熱が続き、各種の治療薬を投与しても効果が現れず、体温も全く下がらなかった。
 12月22日、患者を呼吸器内科に移し、(略)検体サンプルを外部の検査機関に送ったところ、「コロナウイルス」との検査結果が口頭で報告された。
 病床を管理する同僚は、私の耳元で「艾主任、あの医師は『コロナウイルス』と報告しましたよ」と何度も強調した。後に、患者は武漢市の華南海鮮卸売市場で働いていたことが分かった。
「最近、多くの人が高熱を発している」
 12月27日、また1人の患者が南京路分院に運び込まれた。(略)他の病院で10日間治療を受けたが、症状は全く好転しなかった。(略)
 12月30日の昼、同済病院で働く同期生がウィーチャットでキャプチャ画像とともに、「しばらく華南(海鮮市場)には近づかない方がいいよ。最近、多くの人が高熱を発している」と知らせてきた。
 彼は私に「本当かな」とも尋ねてきたため、ちょうどパソコンで診断していたある肺感染症患者のCT検査の11秒ほどの動画を送信し、「午前に救急科に来た患者で、華南海鮮卸売市場で働いていた」とのメモも記した。
「SARSコロナウイルス」と書かれたカルテ
 その日の午後4時、同僚がカルテを見せに来た。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」と書かれていた。
 私は何度も読み、「SARSコロナウイルスは一本鎖プラス鎖RNAウイルス。このウイルスの主な感染は近距離の飛沫感染で、患者の気道分泌物に接触することにより明確な感染性を帯び、多くの臓器系に及ぶ特殊な肺炎を引き起こす。SARS型肺炎」と注記されていることを確認した。
 私は驚きのあまり全身に冷や汗が出た。
 あの患者は呼吸器内科に入院しているので、私のもとにも病状報告は回ってくるはずだ。しかし、それでも念を入れて、すぐに情報を共有するために病院の公共衛生科と感染管理科に直接電話をした〉
〈その時、呼吸器内科の主任医師がドアの前を通ったので、なかに呼び入れて「私たち(救急科)を受診した患者があなたのところ(呼吸器内科)に入院している。見て、これが見つかった」とカルテを見せた。
 彼はSARS治療の経験者だったので、すぐさま「これは大変だ」と言った。
 私も事の重大さを再認識した。
「もしかすると面倒なことになるかも」
 その後、同期生にも、このカルテを送信した。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」という箇所を赤い丸で囲んだ。救急科の医師グループにもウィーチャットの画像共有アプリで発信し、皆に注意を喚起した。
 その夜、私が赤丸を付けたカルテのキャプチャ画像が、さまざまなウィーチャット・グループに溢れるようになった。李文亮医師がグループ内に発信したのもそれだった。
 私は「もしかすると面倒なことになるかも」と感じた〉
 原因不明の肺炎患者のウイルス検査報告を入手したアイ・フェン医師が、「SARSコロナウイルス」と書かれた箇所を赤丸で囲み、大学同期の仲間に送信したキャプチャ画像が、「警鐘」の発端となったのである。
外部に情報を公表してはならない
「もしかすると面倒なことになるかも」というアイ・フェン医師の予感は当たった。
〈12月30日午後10時20分、病院を通じて武漢市衛生健康委員会の通知が送られてきた。「市民のパニックを避けるために、肺炎について勝手に外部に情報を公表してはならない。もし万一、そのような情報を勝手に出してパニックを引き起こしたら、責任を追及する」という内容だった。
 私は恐くなった。すぐにこの通知も同期生に転送した。
 約1時間後、病院からまた通知が送られてきた。再度、情報を勝手に外部に出すなと強調していた。
 1月1日、午後11時46分、病院の監察課(共産党規律検査委員会の行政監察担当部門)の課長から「翌朝、出頭せよ」という指示が送られてきた〉
「デマを流し、揉め事を引き起こすのはなぜだ?」
〈翌朝8時すぎ、勤務交代の引き継ぎも済んでいないうちに、「出頭せよ」との催促の電話が鳴った。そして「約談」(法的手続きによらない譴責、訓戒、警告)を受け、私は前代未聞の厳しい譴責を受けた。
「我々は会議に出席しても頭が上がらない。ある主任が我々の病院の艾とかいう医師を批判したからだ。専門家として、武漢市中心病院救急科主任として、無原則に組織の規律を無視し、デマを流し、揉め事を引き起こすのはなぜだ?」
 彼女の発言の一言一句そのままである。幹部はさらにこう指示した。
「戻ったら、救急科200人以上のスタッフ全員にデマを流すなと言え。ウィーチャットやショートメールじゃだめだ。直接話すか、電話で伝えろ。だが肺炎については絶対に言うな。自分の旦那にも言うな……」
 私は唖然としてしまった。単に勤務上の怠慢を叱責されたのではない。武漢市の輝かしい発展が私一人によって頓挫したかのような譴責だった。私は絶望に陥った(以上、劉燕子訳)〉
アイ・フェン医師は「失踪」させられている
 これに続くアイ・フェン医師の証言はあまりに痛ましい。
 病院内ですらウイルスの情報が隠蔽された武漢市中心病院は、結果として、多数の医師と看護師の感染者と死者を出し、「医療崩壊」が生じ、まさに“この世の地獄絵”となった。
「本当に悔しい。こうなると初めから分かっていたら、譴責など気にかけずに……」「私は何度も何度も考えている。もし、時間を後戻りさせられれば、と」
 現在、アイ・フェン医師は「失踪」させられ、その一方で、すでに世界で大きく報じられた李文亮医師は、「烈士」として祭り上げられている。李医師の存在は、中国当局としても、もう隠しようがないからだが、こうした当局による祭り上げに最も怒りを覚えるのは、李医師本人のはずだ。
 武漢で最初に何が起きていたのか? 武漢でこれほど感染拡大したのはなぜか? アイ・フェン医師の告白は、このパンデミックの根源を知るための第一級の証言である。
「武漢・中国人女性医師の手記」の全文は「文藝春秋」5月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。
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(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年5月号)